みのもんたの朝ズバッ!という、 朝も早い、5時30分からの番組があります。
この番組を知るようになったきっかけは、昨年の8月15日、被爆アオギリを金閣寺、銀閣寺で植樹を致しましたが、それが取り上げられた事によります。 「朝ズバッ!に出てましたよ」 こう教えられ、何だか嬉しくなり、それからは、時折見ているのです。
ところがこの半月ほど、みのさんの姿は見ませんでした。 夏休み中との事。休みは明け、今週からは、いつもと変わらない軽快なノリで、明るく司会進行をしているのでした。
5月23日は、東京スカイツリーの放送でした。 私は、その言動をよく覚えているのですが、明るさと軽快さは全くいつもと同じでした。
しかし、この時のみのさんは、何と、13時間前に愛妻の最期を看取った翌朝の、生出演だったのです。
それを、微塵も、誰にも、感じさせない。 仕事のプロ。
はしゃがなければなりません。大笑いしなければなりません。 他人の出来事や事件に同情しなければなりません。 疲労感や焦燥感は、絶対、見せてはいけません! ( 休み中は奥さんの希望で、ニューヨークへの旅も果たしたとの事。心よりご冥福をお祈り致します )
仕事師―私は瞼に浮かぶ方がいらっしゃるのです。 その方は、滋賀県大津市の日本赤十字病院の、ある科の部長を務めるドクターでした。 名医でした。
難病の患者さんは、その名医に診察してもらいたくて、この病院に来るのです。 他で助けられなかった患者さんで、ここで助かった方は、どれ程いらっしゃる事でしょうか。
その先生と出会ったのは、何年前の事でしょうか。 季節は、ちょうどこの5月でした。 ちょうど今頃です。
若いドクターや、看護師さん達を引き連れた先生が、朝の検診に回られる時、その廊下で出会ったのです。 私は初対面ではありませんでしたが、親しく話しかけられた事もありませんでした。
その時、作務衣の僧形をしていた為でしょうか、とても親しげに話しかけてこられたのです。 話題は、禅の話や、インドの話や、呼吸法の話でした。 そして気さくに、 “ 教えてほしい ” 単刀直入に、こうおっしゃったのです。
それを囲む、スタッフのにこやかなまなざし。 しかし、この光景は誰も想像出来ない光景でした。 踏み込んだ内容がやり取りされました。
そして先生は、にこやかにさりげなく、お付きの看護師さんに言い伝えたのです。 「 連絡をとってください 」
看護師さんは、明るく応対しました。しかし、看護師さんの履行は、ありませんでした。 何の言葉がけも、問い合わせも、電話も通信もありませんでした。
そして初秋、部長先生の姿は、大津日赤病院にはありませんでした。 “ 休んでおります ”
この一点張り。 箝口令が敷かれていました。再会は許されず、 まもなく息を引き取られました。
私は今でも、あの朝のさわやかなシーン、それは、若いドクターや看護師さんを引き連れて、廊下を闊歩する信頼にあふれた明るいシーンが目に浮かびます。
指示を受けた看護師さんは、 “ 立派な先生だ。人を立て、場の雰囲気を盛り上げていらっしゃる ” こう解釈したのでしょう。
部長先生の胸の内は、誰も分からなかった。
先生は、患者さんは助けるが、自分の体については、もう助からない。こう知っていたのです。
しかし、仕事師です。 ギリギリの中を、他人にさとられないように、気丈に振る舞う先生。胸の内は如何ばかりだったか―察するにあまりあります。悔恨の思いのみです。
出会いは縁。一縷の望みを託して、渡りに船とばかり、ばったり出会った私に、話しかけて来られたのです。
もしあの時、先生との修行があったら、助かったのかもしれません。 それにより、患者さんが救われ続けている今があるのかも知れません。多くの人の運命が変わり、喜びが叶っているのかも知れません。
多少延命されたかもしれません。
反対に、誠心誠意を尽くしたとしても、全く、何の効果もなかったのかも知れません。
しかし、やってみない事には、わからない! わからないのです。
ここで、私は断言致します。
実際に、その場で体感出来る人は、ある一定の割合いるのです。本当です。 それが誰なのか、わからない。だから、やってみない事には、何事も言えないのです。
免疫系の病気についてですが、免疫力を高める事が、重要そのものです。 言えるのは、体温が上がる事が有効だ、という事です。 実習していると、体が熱くなります。体温が上昇し熱さを体験するのです。試す価値はあります。
5月になる度、部長先生の事を思い出します。 あなたも、この実話を覚えておいてください。
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